思わず噛み締めた奥歯がキリと痛む。
じとりと嫌な汗が背を伝い、ゾクリと寒気を催す。

いつもの青ジャージ。カレー臭。気の抜けた笑い。

聖徳太子。摂政。皇太子。
極偶に、そう極偶に良策を生み出すが、日々遊び寛ぐその堕ちた姿。
僕たちが血を吐く思いで這い上がっている階層の頂点に、生まれながらにして君臨する者。
僕たちが血を吐きながら這い上がる階層の頂点に、遊びながらに君臨する者。
吐き気が、  する。

「妹子? どうした、なんか顔が怖いぞ」

何時の間に前に移動したのか、呑気に笑いながらも
まるで僕の汚れた感情を汲み取るかのように覗きこんでくる。


こわし て  、 やり   た い


一瞬の迷いが僕を止めようとするが、その迷いを足元を通る蟻のように無視をして
太子の薄い肩を無理矢理壁へと打ち付け、彼が怯んだ隙に細い首へと指を巻きつけていく。
白く、痩せた肌へと。身体が勝手に動く。言うことを、聞かない。
一つ一つの指に力を込めて少しずつ絞めていく自分の指を見ながら、
僕だけではなく、下手をすれば一族処刑の可能性もあるだろうなと思った。
どんなに動かそうとしても、指は緩まない。それどころか指の力はどんどん、

嗚呼、僕も太子も、死んでしまうかもしれない。

ちらと恐怖に染まっているであろう太子の顔を見れば、
驚くことに混乱した瞳も、許しを請うような唇も、苦しそうに宙を掻く腕も何一つなく、
ただ無表情に目を細めながら僕の顔を見つめる顔だった。

 

恐怖に染まったのは、僕の方だった。

 

あれだけ緩まなかった指は何時の間にか緩み、
腕は酸素を求め生理的に苦しそうに咳き込む太子の背中を撫ぜていた。

「げほっ、ん……おま……殺す気がないならもう少し早く放してほしかったな」

いつもの気の抜けた、少し困ったような笑顔。
まるで遅れてやってきた友人に話しかけるような、声色。

「な……」
「ん? どうした?」
「なに、言ってんですか……アンタ、は」
「妹子?」
「あんたは今、僕に殺されそうになったんですよ!?
今、此処で、僕に首を絞められて!」
「あぁ……そうだね」
「そうだね、って……!」

まるでおにぎりに塩を振りかけるのは当たり前だ、とでも言っているような顔。
殺されそうになったとは思えないほどに落ち着いている。

「いや、別に……だって妹子は、私を殺さなかったわけだし」
「っ……!」

信じられない。信じられない。
だって、殺さなかったから……だなん、て。
そんなの、もしも僕が太子を殺していたら、どう……する、つもりで……

「まぁ、ほら。やっぱ……なぁ? こう、私だって一応偉いわけよ。昔からさ」
「は……?」

いつだったか、どこかのお孫さんと話していたときのような。
気恥しいような顔で、ポリポリと頭を掻きながら太子は続ける。

「暗殺なんて、良くあることでしょ」
「……!」
「最近は私がただの阿呆だと思ったのか知らないけど、めっきりなくなったけどね」
「そ……」
「ある日突然、仲の良かった友人が襲ってくる。……別に、おかしくはないだろう?」
「っ」

あなた、は……、

「いもこ」
「……っ……」
「何かあったのか?」
「……」

ぶるん、と首を振る。
自分の中に渦を巻いていた薄汚れた感情だなんて、
太子からすればきっと埃程度のものでしょう。

僕は、太子の足元にも及ばない。

まるで空け者のように振る舞い、全てを欺いて。
幼き頃からの暗殺にも、耐え抜いて。

一体僕は、太子の何を知っているというのだろう?

「……まぁ、言ってくれるとは思ってなかったけどさ。まぁいいや」
「……」
「妹子?」
「……申し訳、ありませんでした。何なりと……罰を」
「何言ってんの、妹子。私は生きてるんだから、そんなのいいの」
「ですが」
「じゃあ妹子、ちょっと付き合え」
「は……?」
「これから毎日、私の傍に居ろ」
「……」

まい、にち。……太子の?

「私を護れ。お前、確か鍛えてたろ。護衛になってくれ」
「……ご、えい?」
「そう」
「っでも……だって、僕、は」
「妹子」
「っ、」
「私はな、お前のこと大事な友人だと思ってる。お前は、そう思ってはくれないか?」
「で……も……」

護衛、だなん……て。
そんな、僕は……いつ、太子の背中を……突いてしまうことか。

「私はなー、妹子」
「……」
「妹子のことが、大好きなんだ」
「……は……?」
「だからいなくなるなんて赦さない」
「……」
「簡単に言えば」

 

 

 


「妹子と一緒にいられれば、それでいいんだよ」