「ん、」 唐突に何も言わずただ求めるようにキスをして、舌を絡める。 君は嫌がる素振りも見せずにそれに応じてくれたけど、ねえ、何を思ってしているの? 「…なんだよ、突然」 「別に…したくなったから。いやだった?」 興味無さそうに夜はふん、顔を背けてしまい返事はしてくれなかった。 沈黙は肯定ということでいいんだろう。どの道返事など期待していなかったから構わないけれど。 言ってしまえば夜が素直に返事をしてくれる方が不気味だ。素直じゃないのが夜ってこと。 「ねえ夜、好きだよ」 「ああ、そう」 「素っ気ないね」 本心など欠片もこもっていないことはバレバレなんだろう。どうせ僕も返事には期待はしてない。 ただ何となく、何気なしに言っただけだ。僕たちの会話なんて、そんなものさ。 「相手にして欲しいのなら」 低くもなく高くもなく、程良い声が通る。僕はこの落ち着く、夜の声が好きだった。 「まずはその手を退かしたら、どうだ」 「…イヤ?」 「好むやつがいると思うのか」 「さぁ…いるんじゃないの」 退かせと言われた手に、力を込めてみる。細い首に絡めた指が夜へと喰い込んだ。 そう、首。相手の首を絞める。なんという行為だろう。外部から呼吸を無理に止められる感覚。 それほどに気持ちの悪い感覚があるだろうか。人間とは呼吸を大前提とした生物なのだから。 「とにかく俺は好まない」 「でも、抵抗しない。どうして?」 「…面倒だからだ」 面倒だといって抵抗しなかったところで、結局体力は消耗する。夜は抵抗しない方がマシだと言うけれど。 …僕からすれば、首を絞められるよりは抵抗する方がマシだと思うんだけど。この思考回路の違いも朝と夜の差なんだろうか。 「じゃあ、絞めちゃおう」 ギリ、と力を込めた。抵抗はないから簡単に力が入る。ただの人間ならたちまち苦しみ喘ぎ赦しを乞う行為。 当然ただの人間ではない夜は苦しむことも懇願することもなくただ虚ろな瞳をこちらへ向けている。 詰まらない、と口で転がせばそれを読みとったのか夜が僕の腕に手をかける。けれど抵抗はしなかった。 ただ、弱く僕の腕に手を乗せて僕の瞳を虚ろに見つめるだけ。 「つまらない」 今度は、口から出して。意志をはっきりと伝えるように僕は確かな視線で夜を見つめた。 「…ねえ、つまらないよ、夜」 「な、ら」 「もっと面白い反応、見せてよ」 「そ…っの手を、…はな…し、て…消え…ろ…」 思わずぎゅうと絞める力が強まった。認めてしまうのならば僕はいらついたのだろう。 僕の与える苦痛に苦しむことも喘ぐことも恨むこともしない彼に苛立ちを感じている…認めざるを得ない真実。 「…僕を、突き放すの…」 「っ、なん、だって?」 「夜はいつだって僕を突き放す」 僕の存在を認めないわけじゃない。僕の存在を否定するわけじゃない。ただ、僕という個を否定する。 夜と同じ…飽くまで僕はイヴェールであって、他人ではない。そこに個性はいらない――ねえ、そういうことなんでしょう。 僕にだって夜と同じ、意志はある。夜が昼を想うように僕が夜を想って何がいけないの? 「君は残酷な天秤だね…ほんとうに」 「…俺、は…ただっ…の…右皿、でッ…あって…天秤じゃ…ない」 喘ぎにも似たそれは苦しみでも何でもなく、ただ喉を押さえているから声が出ないだけ。僕が聴きたい声では、ない。 「傾いてしまえば、いいんだよ」 「っ、あ…?」 「右へ右へと…僕と共に堕ちて、傾いてしまえばいい」 力を込めていた掌からゆるりと力を抜けば、夜が同時に酸素を吸い込む。大きく息を吸い込む姿は苦しみよりも喘ぎに似ている。 ――呼吸の不必要な肉体でそれをするのは生き物でありたいからだろうか。僕も夜も、人間ではないけれど…生き物ではありたいから。 首筋を辿れば真っ赤な軌跡。緋い蝶がゆらりと止まっている。うつくしい、と思うこの心は歪んでいるだろうか。 接吻けた首筋に緋い薔薇咲かせればほら、まるで僕のためだけの美麗な蝶の標本みたいで面白いね。 「どちらかが傾いたら…黄昏はどうする…」 「昼のことなんて、いいじゃないか」 そうやって君はいつだってイヴェールのことばかり、ねえ、それはわざと言っているの? 僕の独占欲の強さを知らないわけではないだろうに君はいつだって僕を煽る。ああまったく、そういう趣味でもあるんだろうか。 「夜…」 優しく名前を語りかけて、啄ばむようにキスをする。そうすれば反射か夜は薄く唇を開くことを僕は知っているから。 そこへ優しく舌を潜り込ませて、舌を絡ます。…といっても僕の一方的な行為だ。夜は瞳を伏せて黙って見ているだけ。 瞼を閉じてお互いが舌を絡ませ合うだなんて滅多なことがない限りしない。夜の機嫌が良くて、発情しているときくらいだ。 「ん…ねえ、夜。首を絞められるのってどんな気分?」 ただ強く、強く、首を絞めて。首筋の緋が紫へと変貌し何れ黒へと近づくのだと考えるとまるで人間みたいで笑えた。 今日もいっぱい触れよう? 君と僕が時を過ごすだけで僕は満足なんてできないから。触れさせて、触れて、ねえ、夜… 「さあ、な…お前が…っ、や、られてみるか…?」 「…いやだよ。僕はそんな趣味、ない」 「俺だって、ない、」 嘘だ、と内心思いながらその続きや面倒な返事を打ち消すべくまた夜の唇を塞いだ。拒んではいないくせに…。 今度のはさっきの優しいキスとはうって変わって、思考を止めるような激しいキスだ。僕との現在しか考えられないような、 …嗚呼、本当…なんて醜い独占欲なんだろうか。僕だけを見て欲しいだなんて、愚かな煩悩に過ぎない。 だって僕は、僕たちは、… 「よる…」 「…朝…? おい、まさか泣いて」 泣いている…? まさか…どうして僕が泣く必要があるの。僕はただ愚かな左皿を―― 「そ、んなわけ…が…」 「…馬鹿じゃないのか。おい、朝…」 「夜…よる…よ、…っ!」 「ん…っ」 啄ばむようなキスを何度も繰り返して、少しずつ深いものへと移り変えて往く。 そしてそのまま、常人ならば苦しいと喚いて暴れるであろう力を込めて夜を手繰り寄せて強く強く抱きしめた。 夜は何も言わずただ瞳を伏せて僕のすることを許容するだけだ。コートの中に手をいれたときは、少し震えてこちらを見たけれど。 「……なに、する気、だ」 「夜は、いや?」 「子供のように泣き出したかと思えば、今度は発情か。獣かお前は」 するりとコートを右肩から肘のあたりまで下ろして、赤黒い蝶の舞う首筋へと吸いついた。ん、と少し夜が唸る。 「獣でも、いいよ」 夜が望むのならば獣のように君を食べることだって厭わない。僕の醜い本性を晒すことを招いたのは君だもの、 「…は…、お前、人間になりたいんじゃ、ないのか」 「人間こそが真の獣だと、夜は思わない?」 理性があるから人間は集団で行動し秩序を守る。けれど理性を失い欲望に任せれば、途端に獣以下へと成り下がるだろう。 そんな薄い紙切れのような理性を保っているからこそ人間は儚く強いものなのだと僕は様々な物語から学んだ。 夜、と声をかければ面倒がるように気だるげな視線をこちらへ送ってくれる。そういう優しさも人間のようで、僕の好きなところだ。 人間として生まれ出ることが出来ないのならば、せめて人間のように暮らし行動する――それが僕の理想であり目標だった。 「人間の目的は、繁栄、繁殖。繁栄することを制限されるのなら、僕は…」 「繁殖を行うって? はん…お前がそこまで馬鹿だとは」 「…、なんだって?」 いくら夜に言われたことでも、馬鹿だと罵られて快く思うはずもない。先程も言ったが僕にそんな趣味はない。 苛立ちを表すかのように鎖骨へと歯をたてれば恨めしそうに僕を睨んだ。僕も恨めしいんだよ、と口で転がしてキスで誤魔化した。 「いいかイヴェール、繁殖とは雄と雌が交わることにより行われる行為だ」 「…、だから?」 「雄と雄が行ったところで、それは繁殖じゃない。神への冒涜さ」 「…夜が」 そんなことを羅列したところで、僕が服を脱がすためひとつひとつボタンを外しても何も咎めることはなかった。 「神の名を口に出すとは、意外だな」 「一般論を言っただけだ」 「一般。ふうん…? 夜だって、生まれてないのに?」 生まれてくるに至る物語を探し求めている身で、なにが一般論だというのか… 全てボタンを外して露出した白い肌へと吸いつくように唇を寄せれば、触れる吐息に皮膚が震えた。 「生まれずとも知識は得られる」 「双子に探させて、自分は優雅に狭間でのんびり過ごすだけなんだね」 「お前もだろ」 がぶりと、仕返しとばかりに夜が喉元へ噛みついてきた。抗うこともせずそのまま僕も噛み返して、まるで獣のじゃれ合いのようだ。 獣と獣のように理性のない交わりを求めているわけではないけれど、我を失うほどに求め合うというのも悪くはない。 限りなく同一に近い存在でありながら、対角に位置する僕ら…狂気にも似たこの想いは、傾かざる幻想。 所詮僕らは幻影なのだと冷たい現実が僕たちを引き離す。ならばせめて、幻想だけでも―― 「僕らは天秤…朝と夜の存在…」 「…、朝?」 「ねえ、昼は何を思うかな。…こうして僕らがこんなことを、しているなんて」 「……黄昏は」 己の生と死が首を絞め合って遊んでいただなんて、嗚呼、一体彼はどう思うことだろうか。哀しむのか、怒るのか、それとも…? 「とっくに、知ってるだろ」 「…、そうだね」 考えてみれば僕たちの秘め事が昼にバレなかったことなどない。このことだってきっととっくに、バレているだろう。 あの昼が…イヴェールがイヴェールの行動に気付かないはずもない。いくら鈍感で子供な昼でも己のことくらい気付くだろう。 一瞬でも気付かれていないと思った僕の方が愚かだったと、いうことだ。自嘲気味に嗤って瞳を伏せる。 自嘲を誤魔化すように夜の鎖骨へと舌を這わせて、痕を残した。白い肌にその緋い薔薇はとても目立ち妖艶だ。 「ねえ夜、僕が満足するような醜態を晒してみてよ」 「誰が、ッ」 「…冷たい。人の体温を、感じたいんだ」 話をきけ、と夜は言うけれど僕は話をちゃんと聞いている。むしろ聞いていないのは夜の方だろう。 しかし説教染みた内容のない夜の言葉を聞くのも面倒だから夜の揺れる髪からリボンを解いて煩い口を塞いだ。 良い眺めだね、なんて。そう笑ったら確実に君は怒るだろうから、絶対に言わないけど。 「む、ん…ッ!」 「半分と半分がくっつけば、きっと完全になれるよ」 睨みつけてくる夜を引き寄せて折り重なるように天蓋付きのベッドへと転がり倒れて、さらりと揺れる銀糸へとキスを落とした。 すきだよ、あいしてる…甘い果実のようなこの想いは、叶うことなく腐り果てる運命… 「 」 見開かれた夜の瞳を優しく舐めて、微笑みかける。上から見下げると綺麗に翅が開いていて、興奮した。 僕のために首元で舞う死の蝶――その翅先に、触れるだけのキスをした。
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