「タナトスさま」 返事はない。もう一度呼びかけた。 三回呼びかけて、やっとどこを見ているのかわからない瞳がこちらを向いた。 「何用だ」 「死者がつっかえています。働いてください」 「…なるほど。その書類は亡者の記録か。重そうだな」 この男が労いの言葉だなんて、珍しい。 「ええ、重いです。働いてください」 「だが断る」 「いっぺん死ね」 一瞬でもまともだと思った俺が愚かだった。 やはり冥王は冥王じゃないか。 「ふ…死ね、か…ふは…ふははは…」 ついにとち狂ったか…。俺仕事やめてもいいかな? この上司すごく嫌なんだが。働かないわ人の話聞かないわ。 時々言語が違うんじゃないかと思うほどだ。 「相変わらず面白いな、」 「そうですか。仕事してください」 「仕方がない。に免じてしてやろう」 なにが「してやろう」だ、偉そうにしやがって。 女神の神託さえなければ今頃、地獄なり天国なりで暇をしていただろうに…。 なにが働けだ、くそ女神め。目立った悪行もしなかった俺に対してなんだそれは。 これじゃあ何のために今まで人の世で生きたのか…。 「女神の神託を疑うか?」 「…人の考えを読むな、近寄るな、とっとと働け」 「ふっ…まるで反抗期の幼子のようだ」 「反抗期で結構、幼子で結構。さあ、この書類に…判と、署名を、してくだ…さいっ」 ゆうに1mは超えているであろう書類を床に落として、その上にペンとインクも投げる。 女神とてこのくらいの悪戯ならば許すだろう。無駄に高い身長しやがって。屈め! 「…我にこれを一人でやれと?」 「さあ、どうぞ。私は完了した書類の受け取りしかいたしません」 ふう、とタナトスはため息をついて書類を一枚手に取った。 一度仕事を始めれば安心だ。この男は基本的に終わるまでやめない。 さて、俺も待っている間仕事でもしておくかな。 「…何処へいく」 「どこへも。冥府から出ることはありません」 「言い換えよう、其処にいろ」 一体何なんだ、この冥王は。子供はそっちの方じゃないか。 何がそこにいろだ。寂しいのか。冥王が? やめてくれ、気持ち悪い。 「…なぜです?」 「仕事が捗らない」 「なぜ。書類処理なんて一人で十分でしょう」 「とにかく駄目だ」 細い瞳をさらに細めて、タナトスが睨みつけてくる。 ああ、哀れな部下が冥王の眼光から逃れられる術はないものか。 「…具体的な理由を言えよこのクソ野郎」 あー苛々してきた、駄目だやっぱこいつ相手にしてるとやってられない。 タナトスは俺の言葉に少し驚いたのかぽけんとしている。 今の内に逃げたら駄目だろうか。駄目だろうな。 「お前は亡者。我は冥王」 紫に輝く瞳を細めて、タナトスがゆっくりと笑った。 「タナトスは、お前を逃がさない」 「…すいません、気持ち悪いです」
このタナトスは流暢に喋ります。 主は部下になりました